大学生時代の話。

学生時代のアルバイトは私の青年期の時間の多くを占めていた。若い男なら異性にモテたい、同性にも一目置かれたいという欲望が誰しもその年頃にはあるはずで、人生経験の無い私もそんな田舎者の陳腐な価値観に支配されていた。学生という身の上で勉学に励むという恵まれた環境を貴重に思うことも無く、いかに勉強することを避けて通るかだけを考えて生きていた。いやむしろそこそこの学歴さえあれば勉強することなど無価値なものだと思っていた。確かに私だけではなく現実社会を知らない学生の立場などは勉学にインセンティブを持つ機会が無いために、その努力に対して魅力を感じないことは普通のことであるかもしれない。全ての努力や苦労には報われるべきゴールを見据えることができるよう指南してあげることが教育者や教育制度の大義であり使命であるだろう。

当時の私は生きる目的や人生とはどうあるべきかなど考える余地も材料もない年齢だけを重ねる人間であったため、大学の講義には受講する必要のないものは極力受講せずエネルギーと時間を温存していた。特に時間だけは無駄にしないようにと自分のそれをアルバイトに費やし、お金という具体的な価値に変えることだけに心の拠り所を求めていたようだった。たまの休みや仕事終わりでも気の置けない悪友を含めた地元の仲間や、バイト先の同僚達と夜中に繁華街を徘徊したり当てのないドライブに興じたりと気の向くままに過ごしていた。社会人としてあらゆる自由と社会的権利が手に入ることで行動範囲も広がり、自然に良くも悪くも視野が広がってくると周りの先んじた仲間や大人たちに近づいていきたくなり、とりわけ今まで手に入れることが出来なかった所有する物の価値が、自分自身の価値に成りえるかのような歪んだ物欲とも大人像ともいえる価値観が形成されていた。

自分が異性にモテないのは未だに400ccのバイクに乗っていて高校生と同じレベルだからだと思うようになっていた。周りは皆次々に自前のマイカーを購入し、丸で自分の移動する部屋のような空間に仕上げてアイデンティティの分身を手に入れている、そのように当時の私の目には映っていた。自分も自らを誇示できるような象徴が欲しい、そう思い込み良い車を持つことを目標にするようになった。ある程度は無目的で貯めていた貯金があったので誰が見ても高級車であり羨望を受けるような車種に手が届くよう、更にアルバイトに励み目標の大台まで頑張り続けた。

パチンコホールで働いていたので、多くの常連客と顔見知りになっており顔を見れば声を掛け合うなど、店の従業員と来店客との関係も良い雰囲気の職場であった。私はその中でも、とある常連客と仲が良くなり良く話しをするようになっていた。その人は仮にBさんとして彼はいつも奥さんと幼い子供二人と家族でパチンコホールに来ていた。来店頻度はほぼ毎日であった。若くて兄貴的な存在で年下の私にも目線を合わせて同じ話題で気さくに話してくれた。その中である日ふと私が車を欲しいという話をすると、中古車のオークションで良いのを見つけてくるよという流れになった。どうやら彼は中古車のディーラーをしているようだった、たまにマイカー以外の重厚な高級車でパチンコ店の駐車場に乗り付けてきたり、ブランド物の小物を身につけていたりと羽振りは良さそうだった。もっとも特に勝っている様子も無いにも関わらず毎日のようにパチンコ店に遊びに来るということはそれなりに事業がうまくいっていてお金を持っているのかと勘繰ることはあったが、何ゆえ大きな買い物の相談なので慎重にBさんの提案を熟考することにした。

バイトに行き彼に会う度、もっぱら車の話題になり私の希望を伝えたり具体的な相談になっていったが実際に他の車屋さんに見に行ったり本気で買う姿勢になって情報収集をしていなかったので、正直それほどの大きな買い物をすることの決断が出来ず、最終的にこちらからBさんにお願いすることを決めきれずにいた。しかし、ある日バイトに行くとBさんが近づいてきて「佐藤君に見せたいものがある」と言って私を店の外の駐車場に案内してくれた。そこには私が希望していた車種の高級車が停まっていて、外観もかなりハイセンスにドレスアップされた車を見せられた。第一印象はとてもカッコいい車であり希望に限りなく沿った代物ではあったが、突然に見せられ車を購入するという心の準備は出来ていなかった。しかし、彼の好意でしてくれているという恩義も感じられ心の隅にある戸惑いを隠しつつ喜びを表現するように努めてべた褒めするしかなかった。

くまなくその車を見せてもらい試乗もした。何も気に入らない点はなくすぐにこの車が欲しいという気持ちになるほどの極上車であったが、値段を聞くと私が想定していた金額よりもかなりの予算オーバーをしていた。当初60万円くらいの車体価格を考えていたが、その車は80万円ということであった。そこから諸費用を追加すると乗り出しで100万円を超えてくる。私は驚きつつも彼が失望してしまわないよう配慮することも十分に検討し、その場では決断は出来ないがその車をオークションに返却する期限日までに回答すると応えてその日は待ってもらった。さすがに前触れも無く見せ付けられその場でおいそれと決断をするというのはかなり躊躇された。今思えば最初に予算オーバーしている車をなぜ見せられたのかは謎だったが、恐らく車そのものには妥協しないがための計らいであると、彼の思惑を肯定するような考えになっていくのだがそれはやはり普段の彼との人間関係によるところであっただろう。

車屋さんに悪い人はいないはずだしBさんは自分のことを思って行動してくれているに違いないと彼を信じて疑うことはなかった。それにしても80万円以上という金額は当時の大学生である私にとっては大金であり、非常に悩ましい問題であった。この購入を決断してしまうと今のハイペースでバイトをし続けなければならないという拘束を受けることになり体力的にも大きな負担になるのは容易に想像できた。しかしその一方であれだけの良い車をみすみす見過ごすのも気が引ける、そもそも今ままでも貯金に精を出しているのは車を買うという目標があったわけだから、いつかは決断し乗り越えるべき試練である、とどこからともなく沸々と使命感が湧いてきた。ただその車の品質を金額がどれだけ相場に見合ったものなのかは私にとっては知る由もなかった。いわゆる経済学で言うところの情報の非対称性が存在しているのは濃厚でありながら、需要者側の私はそれを暴くことすらおろか認識することさえも無いまま、彼の提案に前向きになっていくのだった。

学校にいても、バイトをしていても、家にいても、考えることはその車のことばかりであった。いずれ車は買うということにしていたのだからこの機会はBさんとの縁もあるしちょうど踏ん切りをつけるいいタイミングではないか。日に日に自分自身を納得させるような理由を見出していく作業が頭の中で繰り返されていくようになる。それと同時にあの車に乗っている自分とその生活を想像し、大変心地よい夢想の時間が流れてはそれがすぐに手が届く位置にあって、あとは手を伸ばし掴むだけであった。

誰でもそうだろうが、未成年の物欲とは目の前に置かれた憧れの代物に対して容易に制御が利くほど生半可なものではない。私もその例外ではなかった。特に自分の場合は一度思い込んだら回りの意見や否定的参考事由にはほとんど耳を傾けることがない性格であった。ましては反対するような立場の人間がいるわけでもなかったので、回答期限が近づくにつれて腹は固まっていった。その間パチンコ屋さんに来ていたBさんにバイトの合間や普段でも電話などで車についての質問などをしていたものの車に関する知識など多くは持ち合わせていなかったため先立つものとしてかかる費用程度を予めチェックしてこれならいけると自らのストックである貯金とフローであるバイト収入とを照らし合わせていよいよゴーサインを出すことにした。

おそらくこのころから私の金銭感覚として支出が収入または資産を食い潰すという収支の逆鞘現象を大変警戒するようになった。大学生になり堂々とアルバイトとしてお金を稼ぐことができるようになって小さい次元ながらも資産が形成されていく。物的にも質的にも持てる物が何もなかった高校生から比べるとはるかに得られる経済的自由が広がる。その質的充実には目もくれず、それを私はせっせと労働しその対価としてお金に換えていった。その未熟としかいいようのない価値観は、人間の評価はその持っている物や資産の有無によるところであるとはっきりとは認識してはいなかったものの、漠然とした概念が芽生えていたのだった。したがって人間的価値の一つであるお金が費えてしまうことは大変忌々しき事態でありもっとも避けるべきことであった。このように人間は自ら自然と物事を覚え、感じ、知識や経験として吸収して人格が作られていくと思うが当時の私にはその外的要因に長きにわたってお金という要因がまったくなかった。誰もお金が大事とも大事ではないとも教えてくれるべき賢者のような存在が周りにいるわけでもなかった。そのため私のその後の大学生活の後半を使って、お金という新鮮かつ崇高で壮大なテーマに傾倒していくようになる。

さて、そんな心情を知るとも知らずとも私は回答期限までにBさんに提示してもらったその車を購入する決断を告げた。車を所有することのネガティブな緊張感よりもその後に待つカーライフ生活を思って心は晴れ晴れしていた。商品自体がすでにあり、消費者の私の金払いに問題もなかったためその取引は円滑に履行された。当然、親しき仲であったBさんも仕事であるからしてそこからどれだけの利益を上乗せしていたのかはわからないが、とにかく欲しいと思える車を自分が把握している予算内で購入できたことは満足であった。

案の定、良い車で乗っていて優越感に浸れ、小者の私の虚栄心を十分に満たしてくれる決して悪くは無い買い物であった。周りの見る目も変わったであろうと今思えば明らかに錯覚し浮かれた得意顔になっていた節もあったであろう。車に乗れば異性にモテるという信念は最後まで証明されることはなかったが、結局この車の買い物は良い選択であった。何をするにもどこへ行くにも乗って行き、私の味気ない青春の1ページにはこの車がささやかながら飾り立ててくれたと思っている。そのため私はBさんに対して恩人というか、改めて尊敬の念を抱き更に慕っていくことになる。Bさんもそれに気づいていたのか、会えば良く話し込んで今度どこへ行こうとかバイト先以外でも頻繁に遊びに連れて行ってくれるようになった。

そんな親しい付き合いになり、車を彼から購入してからそう時間が立たないうちのある日、バイト先のパチンコ店で彼が私にお願いがあるのだけど、と相談を持ちかけてきた。しかし相談とはいっても畏まり丁重にというわけでも無くいつもの世間話の中で何気なく出てきた話だった。「車の仕入れであと36万円必要なんだよね、佐藤君貸してよすぐに返すからさ。」人にお願いをする内容にしてはあまりにも軽すぎる態度でかつ金の無心を平然と言ってのける彼は、行っている事業の資金繰りがいかに回転の速いものであるかを商売の知識など無い私にもその内容からは身近に感じられた。年下の学生に気軽に頼るほど多くの案件を抱える引く手あまたの自動車ディーラーなのだろうという印象にその時は解釈した、もちろん彼がそのように自ら述べていたのもあったが、資金に困窮しての苦肉の策であるとは決して思わなかった。彼は私の少し驚いて考え込んだ顔を察したのか、「すぐに、一週間後に40万円にして返すからさ。」と畳み掛けてきた。私は悩んだ、36万円といえば大金だ。バイトだけで生計を立てている学生にしてはとてつもない重要な資産である。しかしなぜか最初にその話を聞いたときに彼が返済をしないのではないかという疑いはほとんど無く、人にお金を貸すということ自体に対する漠然とした当惑のようなものと、彼が仕事とはいえ年下の学生に金を頼るというわずかな幻滅があっただけだった。

頭の中で瞬時に今の資産状況を把握してみた、36万円。現時点では持っているお金だ、無理して貸せないこともないがこの金額が長い間戻ってこなければ私の資産状況は月々の収入や支払い状況からして大変苦しいものになる。しかしわずか一週間後であるならば問題はない、しかもそれだけ超短期の流動性を手放すだけで4万円を何もせずに手に入れることができるなんていい話だ。そしてその相手がBさんである以上、私を裏切って逃げてしまうことや何らかの理由で返せない自体に陥るとは考られずにいた。いつもの悪い癖である、自分の都合の良い解釈とリスクと向き合わずに成果だけに目が行ってしまう短絡的思考が、まるで舌切り雀の寓話のように道徳にそった行儀の良い行動ができず現実的な確率論の方が勝ってしまうのだった。「考えさせて下さい」とはいったもののその言葉どおり家に帰ってよく考えたが、利子の4万円は当時の私の金銭感覚からいって大きいものだった。36万円を失うかもしれないというリスクより、金を貸すだけでわずか一週間後に4万円も手に入るという素晴らしい仕組みにこれはおいしい話だと、提案を向けられた自分が何か優先的に指名された特権を獲得したように思えてきた。

一週間だ、たった一週間だけ我慢すればいい、すぐに使う予定のある資金ではないしあっという間ではないか。しかもBさんにはお世話になっている、彼が困っているときに助けてやらないでどうするんだ、自分が努力や苦労をするわけではない、一週間金を預けるだけでいいんだ。人に金を貸すという行為は後々トラブルになる最もメジャーな約束だ、むしろ金を貸したほうが悪いと客観的には批判されることもしばしばある。しかし、金を貸す前にその約束が反故にされるだろうと思って貸す人間はまずいない。言い訳でも大義名分でもない、ある意味信じきっていた。当然である、返ってこなくても良い金ではなく返ってこなかったら大変なことになるほどの金額であったわけだから。非常にリスクが高いにもかかわらず、Bさんの信用それだけが崩れることは夢にも思わなかった。彼はご丁寧に自分の免許証のコピーも渡すし、借用書も書くとまで言ってきた。これ以上疑うことがどこにあるだろうか、私はBさんの行動を健気とすら感じ、これほどまでにも証憑を用意させて悪いなとさえ思っていた。どうか顔を上げてください、あなたのためなら協力しますよと善人を気取りながらも腹の中では感謝されかつ報酬ももらえるのだからという下心が確かにあったのだろう。

置き去りにされる自制心、人間の永遠のテーマであるとも言えるのではないだろうか。邪念というかほんの一瞬の良心の欠如、油断、過失、詰めの甘さ…。理由は説明できるものではない。スポーツの世界でいえば圧倒的な実力者が失格や一回戦敗退の憂き目に会うような。プロゴルファーが数センチのパターを外してしまうあの信じがたい失敗。完璧なまでに組み立てられていると思い込まれている完成品にも見えない欠陥が潜んでいる。  21世紀に先進国の日本で原発が大事故を起こしている事実もしかりか。もちろん悪意があってのことではない、慢心そして過信の中から生まれる悪魔の仕業であるとしか思えない運命のいたずら、はたまた精神修行の至らなさとして克服できる題材なのか。普段の行いといえばそれまでなのかもしれないが、残念ながら私はその誘惑に負けてBさんに金を貸すことに決めたのだった。

ATMから引き出した36万円を封筒に入れ、春日部駅前のロータリーで待ち合わせし、私の愛車に乗り込んできたBさんにその厚く膨らんだ、アルバイト何か月分かの私の血と汗の結晶を手渡した。感謝の言葉を多く述べるわけでもなく、どこかそれが当たり前かのように謝辞もそこそこにBさんは用が済むと直ぐにまたドアを開けてどこかへ行ってしまった。まさかこの様子を後に警察が実況見分することになろうとは両者とも想像すらしていなかった。つまりこの時、犯罪現場としてまさに事件が発生していたのであった。